失ってしまったもの 失いたくないもの

森島寛晃が語る2002年

セレッソの10周年記念ページ、激動の2002年を語ったのはやはりこの人、モリシ。

一文一文、全てが感慨深いんだけど、どうしてもこれだけは突っ込んでおきたい。

ワールドカップ合宿中は充実してましたよ。(中略)それと流行ったのが、卓球。みんな上半身ハダカで汗だくでやってました。僕はいつもアキとダブルス。僕が運動量で拾いまくって、アキが決めちゃう。そんなパターンで結構強かったです。

見え透いた嘘をつくんじゃない。

「モリシが一番卓球下手だった」って、大会直後にバラされてたやないか、中田ヒデに(爆)*1

フォトギャラリーの写真に胸が詰まる。ユンちゃん、ネモ、トゥーレ、寿人。あの年をともにたたかい、そしてお別れした大切な仲間たち。ユンちゃんは今年の5月にACLの磐田−全北現代戦がBSデジタルで中継されている時に久々に姿を見られて嬉しかったな。

もともと私がアテネ五輪世代にこんなに入れ込むようになった、そのきっかけは02年のアジア大会なんだけど、それを真剣に見ていた理由はヨシトとネモ、セレッソで頑張ってくれてるふたりの若武者が参加していたから。もしヨシトだけだったら、あそこまで真剣に見ていたかどうか・・・いや見てただろうけど(苦笑)それよりも、あの大会あたりからだったな、ネモに思い入れが強くなったのは。シーズン後は真剣に「ネモ残ってくれ」と祈っていたし、だから移籍が決まった時はものすごい喪失感があった。寿人とネモが同じチームに移籍したのにはひっくり返ったけど(笑)

眞中さんが一番すさまじかったのもこの年。ご存じのとおりああいった事件があって、7月に復帰して、それで13得点って何よ。もし開幕から出れてたら、いったいどうなってたんだろう。

悟、下川、そして喜多。いろいろ言われてたし、私もいろいろ言ってたけど、でも憎みきれないというか、やっぱり好きだった。湘南戦だったかな、塩川主審のトンデモジャッジが炸裂した試合で、モリシが猛抗議してる時に喜多がSBを煽ったりしてたな。

ふと気づくと、02年のメンバーもずいぶん少なくなってしまった。けど、まだそれなりに残ってもいる。あの年の10月ぐらいの苦しさを思えば、今の苦しみだって乗り越えられるはず。頑張れば必ず結果が出るというものではないけど、頑張らないで結果が転がり落ちてくるなんてことはない。

頑張ろうよ。まだ諦めるなよ。選手も、サポも。少なくとも私は、まだ諦めていないよ。ゴル裏連敗記録とかアウェイ連敗記録があるから、日立柏に行くことについては悩んでるけども(苦笑)

*1:それに対してモリシは「アキよりはうまいはず」と答えた。ほんまにもう、この人は・・・(苦笑)