1個当たり4円

今週の「BSマンガ夜話」。月曜の「パタリロ!」は最初から最後まで見ました。面白かった(笑)火曜、水曜は未読なのでパス。そして木曜、「鋼の錬金術師」。実は仕事から帰ってきたのが遅くて、途中からしか見れなかったんだけどね。

実はこの「ハガレン」も、私は未読です。ただ、アニメを途中から、それもかなり飛び飛びではあるのですが*1見ました。普通ならマンガとアニメはまったくの別物ととらえるべきなんでしょうけど、ハガレンに関してはアニメ制作のスタッフに、原作者がちゃんと自分の考えている結末(まだ連載中ですんで)を伝えているそうなので、アニメの結末もそう大きく外れてはいないだろう、と思います。

今回も含め、これまでの夜話で取り上げられてきた作品の多くは、既に終了しているか、「パタリロ!」のように超長期連載か、もしくはその両方かとなのですが、このハガレンに関しては比較的新しい作品で、しかもまだ連載中。そのせいか、出演者の掘り下げ方が甘いというか、これまでの作品と比べて絵だったりキャラ設定だったり世界観だったりギャグの入れ方(笑)だったりといった、テクニカルな部分に対する論評が多かったように思います。そこら辺がなんか不満でした。

で、ちょっと作品レビュー的にいろいろ書こうと思うのですが、ここからはアニメ未見の人にはネタバレを含みますので折りたたみ。

しかし、いくら明日は試合がないからって、開幕前夜に何を書いてるんだ(笑)>自分





















日付指定で直にとんできた人のために改行も済ませたし(笑)いざ本題。



人は何かの犠牲なしに何も得る事はできない。何かを得るためには同等の代価が必要になる。
それが、錬金術における等価交換の原則だ。
その頃僕らは、それが世界の真実だと信じていた。

──アニメ版「鋼の錬金術師」オープニングナレーション(第42話まで)




ハガレン」とは「等価交換」をテーマにした、エドとアルの物語である。




・・・何をいまさら、とか言わないでください(笑)これからちゃんと説明しますんで。

この物語の最大の魅力とは、エドとアルというふたりぼっちの兄弟が、その「あおくさい論理」でもって、より大きなものに対して真っ向からぶつかっていくところだと思う。「錬金術」は、そんな彼らにとっての武器に過ぎない。

はっきり言って、エドは「ガキ」です。年齢的にもそうだし、精神的にもともかく「オトナの論理」ってやつを受け入れることができない性質。普通の「ガキ」であれば、その存在の卑小さゆえに、無力さゆえに、あっさりとオトナに呑み込まれていく。しかしエドには「錬金術」という強力な武器がある。それゆえに、ガキのままでオトナたちに立ち向かっていける。

もしエドがもう少しうまく立ち回れるなら、オトナたちをうまく利用しつつ最終的には自分の思い通りに事を動かすことができるかもしれない。しかしエドにはそれはできない。頭はいいみたいだから、あるいは不可能ではないのかもしれないけど、むしろ本人の性質がそれを許さない。それゆえに、正面からまともにケンカをふっかけ、時には傷つく。そう、エドのやりようってのは基本的に「ケンカ」だよね。

この物語の主人公はあくまでもエド。アルは、エドをしてオトナたちの世界に飛び込ませるための「動機」であり、エドに質問して答えを引き出すという方法で物語の舞台設定を読者に知らせる「語り部」であり、時として暴走しがちなエドをおさえようとする「ブレーキ」であり、傷ついたエドを癒す「休憩所」である。こういう役どころは、普通の少年マンガならヒロインの女の子が担うべきところだろうが、弟、それも鎧に魂を宿らせただけの非生命体がその立場にあるのが面白い。

エドとアルが立ち向かう「敵」は、どんどん大きくなっていく。大人たち、コミュニティ、得体の知れない化け物(=ホムンクルス)、国家、世界、しまいには(エドとアルのいる次元だけでなく)私たちのいる「こちら側」の世界までも巻き込んだ大きななにか──言うなれば「宇宙そのもの」が、エドたちを呑み込もうとする。エドとアルは「等価交換」という、彼らの世界の大原則を武器として、彼らと真っ向からぶつかり合う。

その結果として、彼らの世界の中での「等価交換の原則」は否定される。こういった別次元の世界を描いた話の中で、その世界の大原則を崩してしまうというのは、一歩間違うとそこまで緻密に進められてきた物語に矛盾が生じ、結局すべて台無しにしかねない。かなり危険な賭けだ。

そして(マンガの方はまだ継続中ではありますが)アニメ版の結末。「こちら側」にとばされたエドエドとともに旅を続けていた間の記憶が失われたアル。エドは「あちら側」に帰る方法を探るべく、「こちら側」の科学技術を学ぼうとする。アルは、いなくなったエドを探すべく、再び錬金術の世界に足を踏み入れる。すべては、ふたりが再会するために。

ここで、アルの最後のナレーションが入る。

等価交換は世界の原則じゃない。
いつかまた会う日まで交わした
ぼくと兄さんの約束だ。

このひとことが「ハガレン」を名作たらしめた、と私は思う。いったん否定された原則が、ここで復活するのだ。世界の原則としてではなく、兄弟をつなぐ絆として、そして誓いとして。

作者が真に描きたかったのは、錬金術を駆使した派手な戦闘シーンでもなく、彼らが生き、そしてたたかった壮大なる別次元でもなく、エドとアルの歩んだ道のりそのものだったということがわかる。冒頭にあげたオープニングナレーションは、このエンディングにつながるための巧妙な伏線だったわけだ。

だからこそ、ハガレンは「エドとアルの物語」であり、そのテーマは「等価交換」なのだ。




・・・お粗末さまでした(汗)

ハガレンの映画版が今年公開されるそうで、その映画はアニメ版の後日談として位置づけられるようですが、個人的にはこの物語はここで終わっておいてもいいかな、と。そのぐらいアニメ版のこのエンディングが上出来だったと思うんですよ。や、もちろん映画のエンディングがアニメを上回る可能性もありますけどね。

(説明するまでもないかもしれませんが、タイトルは「パチンコにおける等価交換レート」です(笑))

*1:土曜の18時なんて、Jサポやってるもんにとっては一番見づらい時間帯やっちゅうねん(苦笑)