最強の「スーパーサブ」でした
上の件だけでもけっこうショックだったのですが(これは携帯で知りました)帰宅した私を待っていたのはもっと衝撃的なニュースでした。
いつもどおりアンテナで最近更新したらしいサイトやブログさんをぼちぼちとチェック。おっと、珍しいサイトがあがってきてるな・・・と思って見に行ったのが眞中靖夫さんのサイト。いや、この人、BBSにはしょっちゅう書き込んでるけど、サイトそのものはめったに更新しない人だから*1。
なんであがっていたのかというと、サイトデザインをリニューアルしたからだったんですね。ものはついでとばかりにあちこちクリックしていて・・・そして見つけてしまった。
岩井FCjr
岩井中学校サッカー部
岩井西高サッカー部
(株)住友金属サッカー団
鹿島アントラーズ
セレッソ大阪
サンフレッチェ広島
横浜FC
2004年現役引退
えぇーっ!?(悲鳴)
嘘だぁ、まだ全然早いよ、早すぎるよヤスさん!まだ松の内すら明けてないんだよ?エイプリルフールまでには3ヶ月以上あるんだよ!(・・・そういう「早い」じゃないっての(笑))
これって本当なのかな。更新担当のお兄さん(笑)が、自分のところに書いてたのをそのままコピペして持ってきちゃったとか、そういうことは・・・ないのかな。やっぱり*2。
正直、これはかなりこたえました・・・今年もどこかでヤスさんのプレーを見られるものばかりだと思ってた。それがJ2でも、JFLでも、ヤスさんは現役を続けるものだとばかり思っていました。
2004年8月14日。対大宮アルディージャ戦。録画放送でしたが、どうにか「その瞬間」を見ることができました。たしか、相手の守備陣がオフサイドだかファウルだかと思い込んでプレーを止めた、その一瞬の隙をついてのゴールだったと思います。ボールがゴールネットを揺らすのを確認したヤスさんは、一目散に駆け出す。向かった先は、ピッチの外でアップを続けていた兄・幹夫さん。とびあがりながら抱きつくふたり。
プロ選手としてはただ一度、ゴールの喜びを兄弟で共有したあの試合が、ヤスさんとしてもプロ人生最後のゴールとなりました。
幹夫さん、靖夫さん、本当にお疲れ様でした。2002年11月2日、三ツ沢競技場での横浜FC−セレッソ大阪戦、あの試合での兄弟対決は、生涯忘れませんよ。
ところでヤスさん、もし指導者の方向に進むんでしたら、大阪に戻ってくる気ありませんか?(笑)