配達されることのない手紙・その2・・・平山相太くんへ

今は、筑波の方にいるんでしょうか。それともいったん実家に戻ったかな。お疲れさまでした。

アテネ五輪代表の選手はみんながそうだったろうけど、きみは特に長い長い旅だったのではないかと思います。そう、きみにとっての「アテネへの旅」は、昨年のワールドユースから始まっていたのですから。






今野や菊地等のWY組の選手たちとともに、きみは日本のサッカー史上最年少の五輪代表候補として今年1月の合宿に参加しました。今野たちにとっては既に同じJリーグという舞台で戦うライバルであり戦友との再会でしたが、きみにとってはほとんどが初めて出会う人たちばかりだったと思います。先輩たちはきみに優しかったですか?

きみが「アテネ五輪代表候補」として初めて試合に出場した、2/8のU-23イラン戦のことを、今でもはっきりと覚えています。初出場初スタメン、そしていきなりのゴール!素晴らしい活躍ぶりでした。あの時から、きみにはスピードが足りないなということは十分承知していましたが(笑)ほとんどのハイボールに競り勝ててしまう長身と、見た目以上にしなやかな動きはそれを十分補えるものと思いました。ただ、同時に、このような派手なデビューを飾ってしまっては、マスコミからの注目をこれまで以上に集めてしまうだろうなということ、そしてそのことはきみの想像以上に足かせとなってしまうかもしれないな、という不安をも感じました。何しろその頃は、アテネ組の中からA代表に抜擢されて一躍注目を浴びたものの、必要以上の期待を背負わされてしまい、特に今年に入ってからは日程的にも精神的にも明らかに無理であるにも関わらず「Aでも五輪でも活躍しろ」という無言のプレッシャーを受け続け、その重圧にひどく苦しめられている選手がいましたから・・・。

五輪予選では結局無得点でしたが、今年に入ってからのU-23代表のサッカーにはきみの果たす役割がいかに大きかったかということは、多くのファンが認めるところです。忘れもしない、日本ラウンドのUAE戦での3トップ。まるできみを支点として、ふたりのエースがヤジロベーのようにバランスを取りながらポジションを目まぐるしく代えつつ攻撃する姿は、まさに痛快でした。昨年までのこの代表のサッカーとはかなり違うものになってしまったけれど、このサッカーは間違いなく山本監督が目指していた方向性の、ひとつの完成形だと感じました。平山くん、きみの存在こそがそれを完成させるための「最後の1ピース」だったんだよ。

間違いない、きみはアテネでも活躍できる。得点という目に見える形での活躍ではないかもしれないし、あるいはマスコミはそのことできみを批判するかもしれないけれど、「縁の下の力持ち」的存在として、大久保嘉人田中達也の活躍をサポートしてくれるんだ。私はそう信じました。そうなれるはずでした。きみ自身もそう信じて疑わなかったことと思います。






しかし、最後の最後で、運命はまるで違う方向に転がりました。まさか日本を出国してから、チームとしてのサッカーの形を変えてくるなど、予想だにできませんでした。確かに高原の不参加という事情はありましたし、監督には監督の考えがあったのでしょうが、誰よりもきみがつらいだろうな、苦しいだろうな、と思いました。ヨシトや達也とともに、あんなにも楽しそうにプレーしていたきみから笑顔が消えていくのはとても悲しいことでした。

最後のガーナ戦、私はどうか監督がきみを出場させてくれますように、たとえ5分でもいい、きみがヨシトや達也と一緒にプレーできる機会を与えてくれますようにと心から願っていました。春の雨が降るあの国立競技場、UAE戦の幸福な記憶を、最後にもう一度甦らせてほしかった。だけど、残念ながらその願いも届きませんでした。もちろん、チームとしては最後に一勝することができたのだから、間違っていたとはいえないのでしょうが、ただどうしようもなくさびしかった。ひょっとして、きみも同じ気持ちだったでしょうか。

誰よりもきみにこそ、「オリンピック」という場所の素晴らしさ、楽しさ、そしておそろしさを身をもって体感してほしかった。そしてそれを、4年後の北京五輪の代表候補であるU-19の仲間たちに伝えてやってほしかった。かえすがえすも、それが残念でなりません。






これからきみはどうするのでしょう。一時期噂になっていた海外移籍はおそらくないだろうと思っていますが、筑波大学に戻って大学サッカーに出場するのか、あるいはJリーグの特別強化指定を受けるのか。

平山くん、もしも、もしもですよ、きみがアテネ五輪での苦しさやつらさだけを記憶に残し、もうサッカーなど続けたくないと思うなら。私は「それもありだな・・・」と思います。そりゃ、もちろん批判はされるでしょう。しかし、そうやって批判する連中のほとんどにとって、きみの人生など他人事でしかない。はっきり言って、日本のサッカーさえ強くなれば、きみひとりが幸福だろうと不幸だろうと知ったこっちゃない、そんな人だって少なくないんです。下手をすると、サッカー協会の中にさえそういう人がいるかもしれない。そんな人たちの身勝手にきみがつき合う必要はない。きみは「きみが一番幸福になれる道」を選べばいい。きみの人生なんだからね。

でも、きみはそうはしないだろうね。私なんかよりもずっと「サッカー」の楽しさを知っているきみのことだから、きっとサッカーを捨てないでしょう。あぁ、一体この魔法は、どれほどの人を虜にすれば気が済むのやら。






きみがJリーグの特別強化指定を受けるとしたら、どこがいいだろう。個人的には、鹿島に行ってもらいたいな。半年前に噂が出たときはむしろ嫌だったんだけど、今あのチームにはバロンがいるからね(笑)きみのような選手にとっては、学ぶべきところがたくさんあると思います。あ、でもそれだとセレッソ戦には絶対に間に合わないんだな(笑)柏か浦和でギリギリか。うーん、一度は実現してほしいんだよね、ヨシトときみとの対決が。

まぁでも、こんなのもしょせんは「無責任な第3者のたわごと」だから、気にしないでください。きみという類い希なる原石に磨きをかけるのに一番ふさわしい道はどれなのか、しっかりと考えて答えを出してほしいな。きみなら大丈夫でしょう、私なんかよりずっと落ち着いていて聡明そうだから。






どんな形であれ、どんな道であれ、きみがひとりの選手として、それ以前にひとりの青年として、健やかに成長してくれることを心から願ってやみません。そして、4年後の北京五輪では、きみがチームの中心として私たちを歓喜の頂点に導いてくれる、そんな未来を楽しみに待っていますよ。いつか来るその日まで、どうか元気でいてください。






(追伸)ひとつきみに謝っておかなければなりません。この1、2ヶ月の間、きみとヨシトとをさんざん笑いのネタにしてしまって、本当にごめんなさい!(笑)でもね、本音を言ってしまうと、あんな風にヨシトと仲良くなったきみのことが少し、いやとてもうらやましかったのだよ。プロになってからの3年間、ずっとヨシトを見守り続けてきた私としてはね・・・。

そのヨシトは、既に北京五輪にOAで出る気まんまんらしいよ。ヨシトらしいよねぇ(笑)まぁ、きみは4年後にヨシトと2トップを組めることを楽しみにしていてください。

最後に、ヨシトの真似をして一度だけこう呼ばせてください。

北京五輪で会おうな!相太!!」