ささやかな弔辞。

仕事帰りに、京ぽんでこのニュースを見ました・・・「仕事中に知らなくてよかった」と心から思った・・・。(知ってしまったらたぶん仕事にならない。)

〈訃報のお知らせ〉

平成18年 6月29日
株式会社 草津温泉フットボールクラブ

弊社 代表取締役 大西忠生は6月29日午前5時18分 横浜市内の病院にて肺癌のため逝去致しました。(享年63歳)
葬儀は6月30日密葬にて親族のみで執り行いますので、ご香料、弔花の儀はご辞退申し上げます。弔電につきましては、クラブ(前橋事務所)にてお受け致します。
尚、お別れの会(仮称)を群馬県内にて開催予定でございますが、詳細につきましては後日お知らせ申し上げます。

大西さん・・・・・・・・。

大西さんについて取り上げたという例の番組を私は見ていないんだけど、その後あちこちのサイトやブログや掲示板でこの話題で持ちきりだったので、彼がどういう病気でどういう状況だったのか、大体のところは知ってました。その後、新聞の記事かなんかで、「もはや『治療』は行っていない、苦痛を和らげるための処置のみ」だということも。それでも、彼が天に召されるなんてことは、まだ考えていませんでした。というか、考えないようにしていました。

「日本代表」とやらは4年前どころかもっと前まで後退してしまったようなのに、大西さんの病の進行は止めてくれなかったんだね。サッカーの神様はやっぱり意地悪だ。




いま調べてみたら、以前は「リエゾン草津」だったチーム名を「ザスパ草津」に改め、同時にチーム体制から何から大きく変容させて、本格的にJリーグを目指すチームとしてスタートしたのは、2002年の4月。前回のW杯の年ですね。その当初から大西さんはチームの土台として、温泉街の小さなチームに愛と情熱を傾けた。いろいろと特例措置の発動もあったらしいとはいえ、それからわずか3シーズンでJ2昇格。おそらくはご病気のためでしょうが、大西さんは一度はチームの表舞台から退いたものの、J2初年度となる昨年はチーム内でいろんな問題が勃発して(ここら辺の事情は草津サポさんにでも聞かないとよくわからないのですが)結局辞任した社長さんの後を引き継ぐ形で社長(兼GM)に就任。既に人生の残り時間を宣告されている人が、プロサッカーチームの社長に就任する。どれだけ大変なことだったろうか。

それでも、大西さんご自身が不幸だったのか?と考えると、もちろんもっと長く生きて、もっといろいろなことを実現させたかっただろうな、という無念はいっぱいあっただろうな、と思うんだけど、サッカーをこよなく愛する人間が、自分の命の時間、そのラスト1秒までもサッカーに、ひとつのチームに注ぎ込めたのだ、「蹴球人」として生ききったのだと考えると、きっと充実はしていたのだろうと思う。そうであってほしいと願う。




大西さんがセレッソで副社長をしておられた時代をリアルタイムで知っているか否かというのは、セレサポ歴をはかるひとつの目安になるかもしれません。 んなもんはかってなんか意味あるんかよというのはこの際おいといて。

で、ちょっと時計を巻き戻して、2001年の話。

セレッソは言うに及ばずのどん底状態で、モリシ負傷中はほぼ唯一の「心の支え」だったノさんが突如契約解除になったとき、関空まで見送りに行ったんですけどね。集まったサポへの最後の挨拶としてノさんは

「大西さんが辞めるという話が出ているみたいだけど、彼を辞めさせては絶対にいけないよ。」

という話をしていました。ただ、いわゆる「韓国路線」を打ち出したのがこの大西さんだったので、ノさん(とキム・ドグン選手)のふたりを切ってブラジル人選手を獲得=韓国路線の否定ということだから、大西さんが辞任するのもまぁ仕方がないんじゃないかな、と当時は思っていたのですが・・・ノさんが言いたかったのはそういう意味ではなかったんではないかな、と今頃になって気づく。

セレッソは・・・セレッソだけじゃなく、現在のJ1・J2合わせて31クラブ、さらにその下のJFL地域リーグまで含めて、何千ものクラブチームが存在するけれど、そこに携わっている人々の中で、彼ほどに自らの愛するチームに命を捧げきることのできる人って、どのぐらいいるのだろう。少なくとも私には無理だろうな。

せめて、サッカーの神様も気を利かせて、彼の命のロスタイムを本来の時計よりも長めにとってくれていたのであれば、まだ救われる気がするんだけど、どうなんでしょうね。




大西さん、長い間本当にお疲れ様でした。あちらに行かれたら、ネルソンさんや久高さんによろしくお伝えください。