宿題を片付けてみる。

先日から話題にしていた「1999〜2000年のセレッソ」について。まぁ私もこの時期のセレッソのサッカーを詳しく語れるわけではないのですが*1わかる範囲で語ってみましょう。


ご存知のとおり、セレッソ大阪というチームは日本サッカー界の名門、ヤンマーを母体としていますが、さまざまな事情*2Jリーグ初年度には参加できず。翌94年のJFLで優勝を果たし、ようやく95年より晴れてJリーグの一員となります。

で、Jリーグの仲間入りをしてからの数年間は・・・これはもう、ほとんどのJ昇格チームが通る道といいますか、とにかく「守って守ってカウンターサッカー」。いわゆる「桜海老時代」ですね。弱いチームが、強いチームに対してひと泡拭かせるには、これがいちばん確実な方法だったのでしょう。前述のとおり、私はこの時代のセレッソは残念ながら見ていないのですが(・・・本当に、なんてもったいないことをしてたんだろう。超地元なのに・・・)この戦術がハマったときの小気味よさといったら、そんじょそこらのカウンターとは切れ味がひと味もふた味も違った、という話を聞いたことがあります。

何度も何度も言いますが、98年は黒歴史(笑)日本がW杯に初めて出場した年でもあるのだし、もしこのときセレッソの監督がアレでさえなかったら、私はもう少し早くセレサポになっていたはずだ(笑)

そして99年を迎えるわけですが・・・2000年以降のセレッソのサッカーから察するに、この年がセレッソサッカーの転換期だったことは疑いない。つまり、カウンター主体の守備重視から、より攻撃的な、より派手で華やかなサッカーへ。そのためにどうしても必要だった選手が、あの黄善洪ファン・ソンホン)。黒歴史時代の8月からセレッソに加入していたのですが、その才能を思う存分発揮できたのがこの99年でしたね。

柏時代の彼はさておき(笑)セレッソにいた頃のファンセといったら、そりゃもう圧倒的な存在。「完璧なFW」だったと思う。ベストイレブンを除けば、現時点でセレッソ唯一の個人タイトルホルダー(得点王)でもあります。

とはいえ、99年のセレッソがファンセだけのチームだったかといえばそういうわけでもなく、2000年の快進撃につながるようなチームの萌芽がちゃんと見えている。中でも特筆すべきは、西谷の成長ではないかと。セレッソが降格したときに移籍してしまい、その後はいくつかのチームを渡り歩いて、いまはえーと、浦和にいるんだっけ?もう未練はないけど、一応どこかで頑張っていてほしいなぁ、ぐらいには思っているのですが。おっと話がずれた(汗)

ともかく、この頃のモリシがいかに脂が乗っていたかは言うまでもないし、ファンセと一緒にプレーすることによってアキもまた成長したことは確かだけど、何よりも左サイドアタッカーとしての西谷の成長があればこそ、翌年に副島さんが4-2-3-1の戦術を採用できたのではないか、と思っているわけです。(ま、それだけではなくて、2000年には田坂さんとユンちゃんの加入によってボランチの質が圧倒的に上がったことと、斉藤大輔の加入によって4バックを採用できたことも大きな要因なわけですが)

セレッソの2000年の活躍が、副島さんの手腕によるところが大きかったのは間違いない。ただ、もし副島さんが99年にいきなり監督になっていたら、黒歴史時代のチームを直接引き継いでいたら、果たしてあれだけのチームをつくりあげることができていたか?私は「No」だと思います。レネ時代があったからこそ、副島時代があったのではないか、と思うわけです。

(でも、その「サッカー批評」の記事については存じ上げませんでしたねぇ。鳥栖や神戸の監督だった時代の副島さんの采配ぶりから考えると、ちょっとあの99年とは結びつかない感じもするのですが・・・)




翻って、今年のセレッソ。驚くほど守備的なチームへと転換しました。これこそ小林監督の指導の賜物。ただし、この「守備的」というのは、J昇格直後のそれとはまったく違うのではないか、と私は考えています。

以前から何度か書いていますが、今年のセレッソの特徴は「超攻撃的守備」。攻撃陣は常に前からプレスをかけ続け、守備陣は積極的にボールホルダーにアタックをかけ、高い位置でボールを奪う。奪ったら迷わず攻撃に転じ、相手側の乱れた陣形の間を縫うようにしてあっという間に相手ゴール前へ。惜しむらくは、今年のセレッソにヨシトほどの決定力を持ったFWがいないことですが(笑)ともあれ、どん底だった昨年は例外としても、これまでは守備をしている時間が長い試合ではちょっとイライラしてしまうという「セレッソ病」にかかっている私が、今年のセレッソの守備にはストレスを感じない。むしろわくわくします。

例えば、なのですが、もしレネさんの後、セレッソがコバさんを監督に招聘していたら。あるいは、副島さんのヘッドとして腕を振るっていたら、いったいどんなセレッソになっていたことでしょう。ちょっと興味深いと思いません?

*1:というか、この時期からセレッソにハマりだしたので、まだ他チームのサッカーなんてほとんど知らなかった。

*2:主に金銭的なことが理由だったと私は聞いていますが、他にもいろいろ「大人の事情」ってやつがあった模様。ただ、これについては私はほとんど知りません。