「王子」から「帝王」へ

この季節特有のネタ。サッカーと離れるのでトピックを分けました。

昨日かな、フィギュアスケートのグランプリ・ファイナル@北京をちらっとだけ見てたんですよ。男子フリーの演技。私が見た時点で、あと残り3人というところでした。

・・・すみません、ひとりだけ明らかに「別格」なんですけど(汗)

なんていうのかなぁ、例えて言うなら「少年サッカーの大会にひとりだけジダンがいる」そんな感じの。レベルが違うというより、ひとりだけ別の採点ルールでスケーティングしてるんと違うか!?って言いたくなるぐらいに。

その男の名は、エフゲニー・プルシェンコ

・・・ちょっと無駄に長くなったんで、折り畳みますね(笑)


私はけっこうフィギュアスケート好きで、といってもいまだに生で見たことはないのですが*1ここ数年は冬が近づくとテレビ雑誌でいそいそとフィギュアの放送予定をチェックしたりしてます。その割には今回のグランプリ・ファイナルはチェック漏れてたのですが(汗)だってちょうど月が変わる頃が一番忙しかったんやもん・・・。

んで、そのたかだか数年の記憶の中でも、特に記憶に残る選手というのが何人かいます。たとえば、フィリップ・キャンデロロであったり、ミシェル・クワンであったり、最近だと村主章枝であったり。

この人たちに共通するのは「表現力」。

もちろんフィギュアといえどもスポーツですから、ジャンプ飛べて当たり前、ストレートラインステップできてなんぼ、スピンなんぞ言うに及ばず、という世界なわけですが、同時にこれは「芸術的競技」でもある。つまり、観衆の心を揺さぶるような演技もしなければならない。単純に得点数やタイム数で勝敗を決する世界ではないだけに、難しく、また奥深い世界でもあります。

先ほど上にあげた面々の演技を見たことのある方なら一発でわかるでしょう。彼らは2分40秒(ショートプログラム)あるいは4分(フリー)の間に、音楽とスケーティング「だけ」で物語を紡ぐのです。それはもう、見事なぐらいに。

そりゃ、人間ですからスケーティングをミスすることもあります。しかし、彼らの表現力は時として、一度ぐらいのミスを帳消しにするぐらいの価値を有します。

前回のソルトレイク五輪の時、村主章枝は5位であったにも関わらず、エキシビジョンに特別推薦で登場しました。その理由は「表現力、中でもスピンの美しさが群を抜いているから」だったと、たしか当時の実況で聞いた覚えがあります。フィギュアに限らず、芸術系の競技というのはどうしても白人が有利になってしまう*2。そういった中で、村主は演技の美しさを世界レベルで評価されたのです。

ぶっちゃけて言うと、私はスケート自体ほとんど滑れないレベルですから、3回転ルッツと3回転トゥループの違いを説明しろなんて言われても無理、どころかいまだに見分けがつきません(爆)あ、なんか今いっぱい回ったから4回転!今のは普通の回転と違って前向きに滑りながらジャンプしたからトリプルアクセル!そんなレベルですよ(笑)だからこそ、全体の美しさ、表現力、そういった部分に惹かれるのだと思う。

で、上にあげた「好きなスケーター」の中で、あえて名をあげなかった人がひとり。この人こそもう別格中の別格、アレクセイ・ヤグディンです。

たしかに、典型的な白人の外見をしています。採点の時にはさぞ有利に働いたことでしょう。しかし、こと彼に限っては、そういうレベルの問題ではない。先ほど「そりゃ、人間ですからスケーティングをミスすることもあります」と書きました。が、この人は、アレクセイ・ヤグディンだけは、まずミスをしない。いや、たぶんしているんだろうけど、どういうわけか私が見ているときにはしたことがない(笑)

そして表現力。前述のソルトレイク五輪の時の演技は、ただもう「圧巻」のひとことに尽きました。

その前年、グランプリシリーズとかで演じていたのが「グラディエーター」。もちろん、同名映画がモチーフです。それがねぇ、もうね、なんていうんだろう・・・本当にすごかった。映画を見ているようだった。「芝居」じゃなくて「映画」。全ては銀盤の上で繰り広げられているはずなのに、まるでセットやエキストラの幻が見えてくるような、そんな世界。

この頃は、ともかくヤグディンの出る大会は見逃すまじと必死になっていた覚えがあります(笑)見るたびに夢中になっていた。しかしその一方で、私は心配にもなっていました。ヤグディンさんヤグディンさん、五輪は来年だよ?今からこんな完璧なプログラムつくっちゃって、本番はどうするのさ?

そして、ソルトレイク五輪での「仮面の男」。・・・すみません、私が間違っておりました(爆)1年後のヤグディンは、1年前のヤグディンをも凌駕していた。

この頃、常にヤグディンの「ライバル」と目されていたのが、最初に書いたエフゲニー・プルシェンコ。うん、確かにすごかった。実際、「グラディエーター」を演じていた年の世界選手権はプルシェンコが制した。しかし翌年、つまりソルトレイク五輪の年は、世界選手権、五輪ともにヤグディンの後塵を拝することになる*3

ヤグディンプルシェンコは2歳違い。ソルトレイクの年のプルシェンコが、まだあどけなさを残した銀盤のアイドル、「王子様」であったのに対して、ヤグディンはこの時既に「帝王」だった。それだけの風格を兼ね備えていました。

そして今年。グランプリファイナルで久々に見たエフゲニー・プルシェンコソルトレイク五輪から2年を経たプルシェンコは、もはや「王子様」ではありませんでした。。ミスがあるとかないとかそんなレベルではなく、ひとり別世界を銀盤に展開する孤高の「帝王」。

惜しむらくは・・・ヤグディンが既にプロに転向してしまったため、アマチュアの競技会ではもうヤグディンvsプルシェンコの対決が見られないこと。今のプルシェンコの挑戦を真っ向から受け止めるヤグディン。見たい、めちゃくちゃ見たい。

いやいや、ソルトレイク以降のヤグディンはそうとうコンディションが悪化していたそうだし、今のヤグディンではあの頃ほどの「圧倒的」な輝きを見せることはできないだろうな。

こんな時、神様って意地悪だなぁ、と思う。これほどの高い技術と表現力を合わせもったふたりなのだから、できれば同じ時期に最盛期を迎えることができていたら、どんなにか素晴らしい勝負が見れただろうか。

いやいや、これが「歴史」というもの。そもそも、ヤグディンプルシェンコが映画を思わせるようなプログラムを組むようになったのには、そのひと世代前(といってもいいでしょう)のキャンデロロの影響って否定できないだろうし、そのキャンデロロにしたってきっと誰かの影響を受けている。

そうして、プルシェンコの影響を受けた誰かが、いずれまた銀盤に姿を現すことでしょう。その時プルシェンコは初めて「受けて立つ」側となる。

その日を楽しみに、今は「円熟期」に入ったプルシェンコの「帝王」ぶりをしっかりとこの目に焼き付けておきましょう。






ところで、このトピックを書くためにいろいろと調べてて発券した驚愕の真実。




プルシェンコとヨシトって同い年だった!(爆)*4見えねー、絶対見えねー(笑)

てことは、プルシェンコより10歳上のキャンデロロとモリシも同い年なんだ・・・あ、でもこっちはなんとなくわかるような気が(笑)

*1:なかなか関西に回ってこない上に、チケット高杉・・・(泣)

*2:そういう採点基準になってしまう。改善されつつはありますけどね。

*3:五輪の時は、たしかショートプログラムで転倒したんじゃなかったっけか。ヤグディンを応援していた私も、あれはけっこうショックだった・・・。

*4:どちらも1982年生まれ。