配達されることのない手紙・その3・・・Dear. 大久保嘉人

ヨシト。






おかえり。






ギリシャはどうだった?大阪の夏とどっちが暑かった?食事はうまかったか?物怖じしないヨシトのことだから、初めて口にする料理でも食べまくったんだろうな(笑)

パラグアイ戦とイタリア戦は生で見てたよ。ガーナ戦はどうしても都合がつかなくて生では見れなかったけど、翌日しっかりとビデオで見させてもらった。ヨシト、おまえってやつは本当に、本当にすごいな。やっぱりおまえはこの世代のエースだよ。

だけど、おまえ自身は決勝リーグに行けなかったことが悔しくて残念で仕方なかったんだろうね。イタリア戦後の、ぬぐってもぬぐってもなお止まらない涙で頬を濡らした横顔が忘れられない。ガーナ戦でのゴールの時は、珍しくほとんど笑顔も見せなかったっけ。

おまえは「負けたことが悔しくて泣くやつじゃない」ことを私は知ってる。あの涙は「(ガーナ戦が終われば)もうこのチームで試合をすることができない」という惜別の涙だったのだろう。おまえが「結果を出したい、メダルを獲りたい」と言い続けていたのは、本当は名誉のためでも海外移籍のためでもない。「このチームで1試合でも長くプレーしたい」という一途な思いの現れだったんだよね。






私はこの代表をずっと見守ってきたから特別な思い入れがあるし、またセレッソファンだから、セレッソの選手が代表に選ばれれば無条件で応援するのは当然のこと。だけどねヨシト、実は私は、おまえに対してはことのほか思い入れが強いんだ。なぜかというと、私はヨシトのプロとしてのデビュー戦を見ているから。2001年3月17日、アウェイの浦和レッズ戦だよ。覚えてるか?真っ赤に染まった駒場のスタンド、地鳴りのような大ブーイングの中、初めてプロ選手としてピッチに立った。後半24分のことを。ヨシト、あの日、あの時、白いラインを越えてピッチに踏み込んだあの一歩から、プロ選手・大久保嘉人の歴史が始まったんだよ。

正直言って、あの試合ではあまり記憶に残る活躍はできなかったね。当時はまだ現役だった井原さんにまったく歯が立たず、しまいにはカッとなってくってかかりかけてたっけ。おいおい、血の気が多いやつだなぁと不安に思ったよ(笑)それが今では、イタリアのそれもOAの選手にタックルされても倒れずにかわしていくんだもの。ものすごい成長を遂げたもんだ。

だけど、私は知っているよ。ヨシトは決して、ただ何もせずにすくすくと成長してきたわけじゃないってことを。何枚ものぶ厚い壁にぶつかり、いくつもの深い谷底に落ち、そのたびに傷つき、苦しみ、のたうちまわり、這い上がり。そうして、たくましさを身につけていった。世間ではヨシトのことを「天才」と呼んでいるみたいだけど、とんでもない話だ。人の2倍や3倍なんてもんじゃない、10倍、20倍、あるいはそれ以上の努力を、ヨシトは続けてきたんだ。誰に言われたからでもない、自分だけの意志で努力を積み重ねてきた。私のような意志薄弱な人間には絶対にできないことだ。だから、私はヨシトのことを心から尊敬する。こう見えても私はヨシトよりもずっと年上だからこんなぞんざいな口調を使ってしまうけど、しかも普段はさんざんネタにさせてもらってるけど(笑)でも本当は尊敬してるんだよ。






私はずっとおまえを見守り続けてきたから、おまえがどんなに「アテネ」にこだわり続けていたかを知ってる。A代表と掛け持ちしながらも、本当は気持ちはU-23の方に傾いていて、だけど「A代表に選ばれることは名誉なことなのだから、それを誇りに思い何よりも最優先するのは当然のことだ」という世論には逆らえずに思い悩んでいたことも。

そんなおまえだから、五輪最終予選のUAEラウンドから外された時は、どんなにかつらかったろう、悲しかったろう。確かにあの頃のヨシトは疲労困憊していたから、山本監督の判断自体は間違っていないと思う。でもやっぱりヨシトの胸の内を思うと、私も本当に切なかったよ。それからのヨシトは、ただただひたすら練習し続けていたね。言葉としては不適切かもしれないけど、それこそ「狂ったように」練習していた。むしろこれが原因でオーバートレーニング症候群になってしまうんじゃないかと不安になったぐらいだ。だけどおまえ自身は決して無理に無理を重ねていたわけじゃなくて、自然に身体が動いたんだろう。やり場のない苦しみの行き場を、練習以外には見いだせなかったんだろうね。

最終予選、日本ラウンドのレバノン戦。一瞬の隙から追いつかれた直後「顔を上げろ!」と叫んだのがヨシトだった、というのはもう有名な話。この話を最初に聞いた時は正直驚いたよ。ピッチ上での「暴れん坊」イメージとは裏腹に、普段のヨシトは決して自分から進んでリーダーシップを発揮するタイプではないし、まして「体育会系」意識が強いから、並み居る先輩たち(といっても1歳しか違わないんだけど)を差し置いて真っ先に自分が声をあげるなんて、普通なら考えられない。そのくらい、思わずそうせざるを得なくなるぐらいに「アテネに行きたい」という思いが強かったんだよね。

前田からのボールに、達也、平山と3人が飛び込んでいながら、ゴールを挙げたのはヨシトだったということは、決して偶然じゃないんだと思う。アテネへの強い強い想いが、おまえの身体を一番前に突き動かしたんだろう。そうしてゴールを決めた後、ヨシトはチームメイトのもとにではなく、ゴール裏の方に駆け出し、両手を挙げてサポーターたちの萎えかけた心を鼓舞した。あの姿を、私は一生忘れない。あの瞬間、「あぁ、この代表を応援し続けてきて本当によかった」と、心の底から思えた。

この代表を他人事としてしか見ていなかった人には、本気で応援したことのない人たちには、あのゴールの本当の価値など絶対にわからないだろう。あの時ピッチにいた選手、ベンチにいた選手、途中で代表から漏れた全ての選手たち、彼らがそれぞれに抱いた思いの全てを、ヨシトがアテネに届けたのだ。

ヨシト、あんなにも素晴らしいゴールを私たちに見せてくれてありがとう。本当にありがとう。






ところで、ヨシトは海外志向が強い、なんてことは最初から知っていた。だから最初はあまり好きになりすぎないでおこうと思っていた。別れがつらくなるからね。それでもやっぱりイキのいいプレーにいつの間にか魅了されてしまった。それからはずっと「海外に行くのはいいけど、今はまだ早い、未熟だ」って言い続けてきた。それは、ヨシトのためというよりは自分に向けた言葉だった。そう口にすることで、ヨシトはまだどこへも行かない、ここにいてくれるんだって自分に言い聞かせていたんだ。

だけど、今回の五輪を見ていて、特にイタリア戦でのあのドリブル突破を見て、私はもう覚悟を決めたよ。

ヨシト、おまえは海外に行く選手だ。おまえが行きたいというなら、そうなるべきだ。

そりゃ、本当はずっと日本にいてほしいよ。セレッソにいてほしいよ。だけど、これほどの力量を持っていて、なおかつヨシト自身が海外への道を望むのなら、もう引き留めちゃいけない。仮にセレッソが横浜や磐田のような常勝チームだったとしても、それでも今のヨシトにはこの島国は小さすぎるんだ。そのことを痛いぐらいに思い知らされた。

もちろん、海外ならどこでもいいというわけじゃない。行くならヨシトの実力を正当に評価してくれるチームでなければ意味がないし、そんな都合のよいチームが一朝一夕に見つかるはずもないから、あともうしばらくは日本に、セレッソに残ってくれるだろう。きっとこれからの3ヶ月は、1試合1試合がヨシトとの別れを惜しむカウントダウンになるのだろうな。

だからこそ、日本での残された日々は、どうかセレッソとセレサポのために使って欲しい。いや、セレサポだけでなく、敵サポの胸をも震わせるような熱いプレーを、そして最高のゴールを、私たちへの置きみやげとして残していってほしい。私たちは全力の賞賛でもって、それに応えるから。

まずは今度の大分戦で、素晴らしいゴールを決めておくれ。できれば2点、それも左足でDF股抜きとヘディングループだったら最高だな(笑)






それじゃ、長居で。