配達されることのない手紙・その1・・・山本昌邦監督へ

まずは、お疲れさまでした、と申し上げておきます。若い世代の選手たちを率い、日本中からの期待を背負っての戦い、心身ともに本当に大変だったことと思います。






私はスポーツに関する才能が全くと言っていいほどない人間ですし、当然サッカーも体育の授業ぐらいでしかやったことがありません。そんな私ですが、Jリーグについてはかれこれ5年以上は観戦し続けておりますし、特にあなたが率いて来られたU23代表(発足当時はU21でしたね)については最初の公式戦、すなわちアジア大会の頃からずっと応援しておりました。であるがゆえに、今回のアテネ五輪の結果については、ただただ残念でなりません。

単に負けたということ、一次リーグ敗退という結果のことを申し上げているのではありません。イタリアはもちろんのこと、パラグアイもガーナも「強豪」と呼ぶにふさわしいチームでしたから、勝利することを信じて応援しつつも、心の片隅では「もしかしたら・・・」と、どこか不安な気持ちで見つめていたのも事実です。ですが、それにしてももう少しうまくやれたのではないか、という思いは拭えません。イタリアやパラグアイに比べれば脆弱なものかもしれませんが、こちらにもこちらがより有利な形で試合をすすめるための「型」というものがあったはずです。ですが、アテネでのあなたの采配は、自らその「型」を捨ててしまったように見えました。もちろん、OAの問題や出国後の各選手の体調等の要因は当然あったのでしょうが。

思えば、U23代表監督としてのあなたの道程は迷いの連続でした。この年代は1年、あるいは数ヶ月の間でも急激な成長を遂げることがよくありますから、2年前に中心であった選手がその後も中心でいられるという保証もないのは当然でしょう。しかし、1年ごとにこれほどめまぐるしく戦術が変わるのであれば、そのたびに選手たちも新しいことを覚え直さなければならず、無意味に時間を費やすことになるのではありませんか?そういえば1年前のあなたは「大久保嘉人の1トップ」という、何とも無謀な試みに取り組んでいましたね。私自身もそうなのですが、彼の所属チームであるセレッソのサポーターは誰もが「そりゃ無理だろう!」とあきれたものです。いくら当時の彼がA代表にも選出されているほどの選手だったとしても、選手には向き不向きというものがあるのですよ。案の定その戦術は全くと言っていいほど機能しませんでしたが。

秋にはひとつ下の世代であるU-21がワールドユースで活躍したこともあり、今年に入ってからはWY組の今野や平山を重用するようになりましたね。また、闘莉王選手の日本国籍が認められると迷わず合宿に召集し、すぐに守備の中心に据えられました。その結果、今年に入ってからのこのチームは、昨年までのそれとは構成メンバーも戦術も全く異なるものとなってしまいました。昨年、Jリーグの日程の合間を縫うようにしてしばしば行われた親善試合や合宿は何だったのでしょうか。






まぁ、そんな過ぎたことを今頃蒸し返しても仕方がありません。その「全く別物となったチーム」を率いて、あなたはアテネ行きの切符を手に入れたのですから。そのことは十分賞賛されるべきでしょう。

しかし、チーム解散を前に、どうしてもあなたにうかがいたいことがふたつあります。

アテネを目前にして、あなたはまたチームをつくりかえようとした。最終予選前のそれが「下の世代との融合」を理由とするなら、今回のそれは「上の世代との融合」つまりOA召集が主な理由でしょう。守備の要としてのGK曽ヶ端、そして中盤の要としてのMF小野伸二。攻撃の要として据えようとしていたFW高原は残念ながら召集できませんでしたが、彼らの加入をあなたがいかに心待ちにしていたことか、最終予選後にあちこちで残されたあなたのコメントからもよくわかります。

しかし、私の記憶を辿ってみるに、最後のトレーニングキャンプである石垣島合宿、その後のいくつかの親善試合を通じて、あなたが小野伸二をどこで使うのか、彼にどのような役割を期待しているのかというポイントは全く見えて来なかった。平たく言えば「仮想・小野伸二」が誰であるのかがわからなかったのです。私の目には、U-23の選手たちはやはり彼らのサッカーをしていた、あるいはしようとしていたとしか映らなかった。

小野が本番直前までこのチームに参加できないこと、従って一緒に戦術練習できる時間はわずかしかないことは以前からわかっていたはずです。であれば、早い段階でチーム内での小野の役割というものを定めた上で、そこに小野伸二がいることを仮定した練習を行うべきではなかったでしょうか。小野は合流して、ただその用意された場所に納まるだけ。そのようなやり方の方が、早くチームに順応できたはずです。小野が来るのを待った上で小野の存在をピッチ上の選手に刷り込ませるには、あまりにも時間が足りなすぎた。

どうしてそうできなかったのか。私はここにもあなたの迷いを見ます。ネット上のあちこちで、本番直前になっても「小野はトップ下で使われるべきだ」「いやボランチだ」「場合によっては左サイド」うんぬんと、多くの論争が巻き起こっていたことを、あなたはご存じでしょうか。つまりそれだけ、周囲の人間にはあなたの戦術が読めなかったのです。できればそれは、パラグアイやイタリアにこちらの戦術を読ませないための煙幕であってほしい、と願っていました。しかし、パラグアイ戦での、小野の前半と後半の役割の違いを見ると、どうやらそうではなかったようですね。あなた自身も、小野をトップ下で使うべきかボランチで使うべきか、迷っていたのではないでしょうか。指揮官であるあなたがそんな状態では、選手たちが自分の役割を見失うのもいたしかたない。

山本監督、あなたはこのチームにおける「オーバーエイジ」というものをどのように位置づけておられたのでしょうか。小野という偉大なピースを中心に据えるために、本番直前でU-23の選手たちに今までのサッカーを方向転換させることを強いるほどに重要な存在だったのでしょうか。ならばなぜ、小野・曽ヶ端と最後の1ピースを埋めようとしなかったのか。あなたが高原を呼びたかったことは重々承知していますが、土壇場でチームをつくりかえてでも勝利をもぎ取りたいと考えておられたのなら、「高原が召集できなかった場合」ということは絶対に想定しておかなければならなかったはずです。

私が仕事をしている業界では「フェイル・セーフ」という言葉があります。最悪の事態を想定し、被害を最小限にとどめるように工夫するという思想です。あなたにはその「フェイル・セーフ」という概念は存在しなかったのでしょうか。






そしてもうひとつ、疑問に感じるのは平山の存在です。

誰もが知っている通り、平山は本来U-19の選手であり、このカテゴリでプレーする選手ではありません。にも関わらず、昨年のU-21(これも平山からすればひとつ上のカテゴリです)によるワールドユースや高校選手権での活躍によって注目を浴びました。そして主に戦術的な理由から、彼はこのカテゴリの代表にも召集されることになりました。今年に入ってこのチームの戦術が劇的に変化したのは、今野や闘莉王の加入もあったでしょうが、何より彼の存在が一番大きかったでしょう。そして、最終予選での闘いぶりを見る限り、それは正しい選択だった、と思います。

しかし、私を含めて誰もが忘れがちですが、彼はまだ10代。いくらU-19では飛び抜けた力量を持っているといっても、U-23から見ればまだまだ身体も貧弱ですし、動きの質、パスや判断のスピードなど、劣っている面は多々あります。それは仕方のないこと、というより、当然のことだと思うのです。そういったことも全て了解した上で、あなたは彼を召集したのだと私は思っていました。つまり、このチームに彼の長身と柔らかいポストプレーがどうしても必要だったからこその召集なのだと。

少なくともチームメイトはそのことを正しく理解しているようでした。彼とコンビを組むことが多かったヨシトや田中達也は、彼に対して「点はおれたちが取ってやるから、お前はポストプレーに専念してくれればいい」という趣旨のことを何度も言っていたようです。特にヨシトは一時期A代表でプレーした経験もあり、「若い選手が本来所属するカテゴリよりも上でプレーすることの難しさ」を肌身で感じていたので、平山のことを気遣っていたのでしょう。たとえお前ゴールが奪えなかったとしても案じる必要はない、このチームでのお前はこの役割さえきちんと果たしてくれれば、それで十分合格点なのだ、そう言い含めることで、平山に少しでも楽な気持ちでプレーさせてやろうとしたのだと思います。

しかし、ドイツでの合宿の時、あなたは彼についてこう言いました。「小野のスピードについていけてない」と。

そんなのは当たり前のことではありませんか。監督、あなたは彼を何歳だと思って召集しているのですか?明らかに未熟である選手に対して、たった数日で無理矢理上のレベルの選手に合わせられるように努力しろ、だなんて話がありますか。もし平山にそこまでの急激なレベルアップを求めるならば、そもそも彼をアテネに連れてくるべきではなかったでしょう。坂田大輔にしろ、山瀬功治にしろ、平山よりはまだ小野の求めるレベルに近かったはずです。

それでも、勝つための非情の采配としてならまだ納得もできます。しかし、一次リーグ敗退が決まった後、ガーナ戦では出番を与えてやってもよかったのではありませんか?日本の敗退は決まっていても、ガーナにとっては決勝トーナメント進出を賭けた真剣勝負でした。そのような場で一分でも長くプレーすることが、若い選手たちにとってどれほど成長の糧となることか。生きた見本ともいうべき存在がチーム内にいるではありませんか。そう、大久保嘉人という選手が。

山本監督、あなたはこのチーム内での平山という存在をどのようにお考えだったのでしょうか。彼に何を求めておいでだったのでしょうか。



そもそもあなたは、アテネ五輪という舞台をどのように考えておられたのでしょうか。

U-21と呼ばれていた頃からのこの世代のチームの集大成の場としてだったのか。

「36年の時を越える」ため、本気で表彰台を目指していたのか。

前者であれば、小野の加入とともにチームをつくりかえてしまったことが矛盾します。後者であれば、OAの最後の一枠を埋めなかったことと平山の存在が矛盾します。チームが解散することになった今もなお、私にはあなたのお考え、それも一番大事な土台の部分が理解できずにいるのです。

つまりはこのことこそが、あなたにとって最大の「迷い」だったのかもしれませんね。






大変長くなりました、最後にもうひとつ、これは質問ではなくお願いなのですが。しばらくは休息をとられるのかもしれませんが、どうか指導者としての道を歩み続けてください。できればJリーグ、それも強豪ではないチームの監督として。

あなたもよくご存じのことと思いますが、岡田武史という監督がいます。98年W杯ではあなたと同じように土壇場でチームをつくりかえようとして失敗し、3戦全敗という最悪の結果を残してしまいました。しかしその後、コンサドーレ札幌の監督に就任して活躍し、その後は横浜Fマリノスの監督に就任されました。その後の活躍はもはや説明するまでもありません。

岡田さん自身、指導者としての才能のある方だったのだと思います。しかし、彼を真に名監督へと脱皮させた、そのスタート地点は98年W杯でした。山本監督、私はあなたにも、同じ道を歩んでいただきたいのです。Jリーグが発足して11年、年々リーグのレベルは上がっていると思いますが、残念ながら指導者の数はその進化に追いついていません。良質な日本人指導者を増やすことは、日本サッカーが成長し続けていくためにはどうしても必要なことなのです。

年長者の方に申し上げるせりふとしてははなはだ失礼かもしれませんが、指導者としてのあなたのご成長とご活躍を、心よりお祈り申し上げております。