何かにつまずいた時は空に手をかざしてみよう

もう今頃は飛行機の中でしょうか。アテネ五輪男子サッカー代表の戦いが終わりました。

私にとって「この代表」がいかに特別だったか。それは、02年W杯における日本代表と比較するとわかりやすいと思います。

02年の代表は、私にとってはあくまで「モリシとアキのいる代表」でした。個人的に戸田はすごく好きだったりしたけど、でもそれは単なる好みの問題で(笑)基本的にはモリシとアキが出ている時とそうでない時ではテンションが5割ぐらい違った。なぜなら、あの代表にいた面々の多くは国内で、あるいは既に海外でも高い評価を受けている選手ばかりで、私にとっては「活躍して当然」という感じだった。だからこそ、そのチームに欠くことの出来ないピースとしてモリシやアキが入っていけたことが嬉しかったのだけど。

でも、このU23代表は違った。「U21」と呼ばれていた頃からこの代表を見守っていた私ですが・・・正直、頼りなかった。技術レベルではものすごく高いというのはよくわかったんだけど、精神面での頼りなさもまた嫌と言うほど目に付いた。また、山本監督は(アテネでの采配を見れば誰でもわかると思うけど)選手起用に関しては全く腰の定まらない人で、まぁその世代の選手がちょっと活躍すればすぐ召集かけたりしたのはトルシエ氏の影響とはいえ悪いこととは言えないのでしょうが、去年の今頃だったか、「ヨシト松井様山瀬」の1トップ2シャドーをやってきた時には我が目を疑いましたね(笑)セレサポでなくてもわかると思うけど絶対無理だからそれ。

しかし、いや、だからこそ、私はこの代表を応援し続けた。不甲斐ない試合をして批判されるたび「ふざけんな、今に見てやがれ!」と心の中で毒づいたものです。別に私が毒づいたからといって彼らにとって何らプラスになることはないのですが(笑)彼らがそれぞれに苦しみ悩んだ、その1パーセントか2パーセント程度とはいえ、私自身も一緒になって苦しみ悩んでいたのです。トルシエジャパンに対しては一度も抱いたことがない感情でした。あの代表は私にとっては、常に歓喜をもたらしてくれる存在だったから。

私にとって「我がチーム」と呼べる存在はセレッソ大阪たたひとつです。もちろん、多くのJチームサポがそうであるように、セレッソ>>>代表です。だけど、U23代表に関しては少し事情が違った。当時のログをあさってもらえればわかると思うんだけど、五輪最終予選のUAEラウンド、私は本気で彼らを応援していました。そこにヨシトはいなかったけれど、達也や高松の活躍に、私は心の底から喜んだ。どうしてなのか、もう説明する必要もないでしょう。NHKの山本浩アナウンサーの名実況を借りて言えば「彼らは彼らであると同時に私自身でもあった」のです。

今回の一次リーグ敗退という結果を受けて、山本監督はもちろんのこと、選手たちもまた批判を受けることになるでしょう。誰の目から見ても最も活躍した選手であるヨシトでさえも、それを完全に免れることはできない。それは、仕方のないことだと思います。彼らが「代表」という看板を背負っている以上、そして「結果」を残せなかった以上は。

ですが、そういう人たちにひとつ問いたい。あなた方は、一度でも本気でこの代表を応援したことがありますか。彼らが積み重ねてきたものを、どれだけ理解していますか。

正面からこの代表を見つめ、あるいは応援し、あるいは大声で罵倒し、心配して胸を痛めてきた人は、どうぞ思い切り批判してください。あなたにはその権利がある。

しかし、少し前まで不甲斐ないを通り越して情けなかったジーコジャパンへのアンチテーゼとして持ち上げていたような人、A代表アジアカップでの奮闘とU23代表の本番目前の迷走とをはかりにかけてあっさり乗り換えた人、あるいは最終予選での活躍で一気に注目度の高まった女子代表、いわゆる「なでしこジャパン」に鞍替えした人。そういう人たちは、どうか何も言わずにこの代表の記憶をそっと封印してください。傷つかなくてすむ場所にいる人からの言葉など、私は聞きたくない。

彼らはあなた方を「勝ち馬に乗せる」ために戦ったんじゃない。彼ら自身と、ここにたどり着くことのできなかった同世代の仲間たちのために戦っていたのだと思う。悩みながら傷つきながら、自分たちが歩んできた道程が間違っていなかったことを証明するために。だからこそ、他ならぬ山本監督自身がその道程を自ら否定するような采配を本番でやってのけたことが悲しかったわけですが・・・

さて、間もなく彼らが帰国することですし、そろそろ彼らの話題も終わりにしたいと思います。というわけで予告。

明日より3回にわたって「電波ゆんゆん」な文章を書きます(笑)かなりさぶいぼモノだと思いますんで、肌に合わない方はご使用をお控えください。その3回をもってアテネ五輪代表の話はおしまいです。