ある意味で「おれたちの代表」。

けっこうあちこちで言われていることですが、この代表をどこから見始めたかによって、彼らへの思いは質も量もずいぶん違うと思います。WYは西村さん(現京都パープルサンガ監督)だし、ツーロンは小野さん(現サンフレッチェ広島監督)だし、ということでスタートはやはり2002年秋のアジア大会でしょうね。ええ、私はここから見始めたわけですが(笑)

たぶん、あのアジア大会のメンバーに一番特別な思い入れを持っているのは、セレサポとサンフサポじゃないかと思う。なんでって、お互いチームが苦しい時に涙を飲んで選手を送り出したから。いや、セレッソの場合は、送り出してから苦しくなったのか(苦笑)あの時はお互いつらかったよねぇ、るめさん(笑)「チームが大変なんだから、とっとと予選敗退して帰って来い」なんて悪態つきながらも、自分とこの選手が活躍したらやっぱり嬉しかったり、とにかく怪我だけはするなよーと思いながら応援してました。あ、だからなのかな、セレサポでありながら、代表での森崎兄弟&駒野がやたらと気になるのは。あの時、ヨシトや根本を見ていた気持ちを、どっかで彼らにも重ねているのかもしれない。

私も、今の代表について戦術的なことをうんぬんしても仕方がない、という気持ちは正直あります。私の場合は、電柱ポストプレーヤーを求めて中山悟志を切った時点ですが。それは裏を返せば、あの時は間違いなくこの世代のエースだった大久保嘉人を中心にしようとしすぎたあまり、彼にとっての相性の良さそうなFW=ポストプレーヤー、と位置づけてしまったのではないかと推測しています。ところが、ヨシトがA代表で中心選手(実際のプレー面はさておき、召集回数および出場回数を見れば間違いなくそうだろう)になってしまったことで、今度は達也を中心に据える。こういう、チームそのものの軸のブレに関しては去年さんざんイライラさせられましたが、土壇場になってこのチームは平山と闘莉王が中心になりました。

今の五輪代表が苦しんでいるのは、まさにその、中心になったはずの選手が思ったほど効果的ではなかったり、あるいは負傷したりといったことが理由になっている。去年まで、曲がりなりにも積み重ねてきたものを全部捨て去ってしまった報いなんじゃないかとさえ思える。山本監督だけを見れば、自業自得だと言えなくもない。けど、(北京五輪にも出場可能な平山を除けば)一生に一度のチャンスをどうしてもつかみたくて、この数年もがきあがいてきた選手たちの気持ちを思えば、やはり見捨てることなんかできない。

何が言いたいのかというと、根本や前田が「戦えない選手」というのは絶対に違うよ、とおりたさんに反論したいわけでして(笑)彼らは、山本さんが綺麗さっぱり捨て去った「去年までのチーム」が積み重ねてきたものを今も持っている選手なんですよ。森崎カズもそう。ある意味では石川も松井も同じ。

闘莉王がいないことがほぼ確実なあと2戦、もし平山の体調が戻らないというなら、あるいは明日のレバノン戦でも思ったように機能しないのであれば、もう「今年のチーム」は取り戻せない。その時の最後の頼みの綱は去年までの蓄積しかありません。声を出すとか、闘志を見せるとか、そんなのは当たり前に大切なことだけど、そういう目に見える形とはまた違った部分で、彼らは彼らなりの「戦い」をその内に秘めているんですよ。

・・・ていうか、ピッチ上の選手が全員闘莉王みたいだったら、それはそれで嫌じゃないですか(笑)